中毒記

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zoom RSS 金の果物

<<   作成日時 : 2011/10/20 05:15   >>

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元々果物は好きなので、よさそうなのを見かければついでに買うことはよくあったけれど、こうやって今朝のようにわざわざ休みの午前中に果物を買うための外出をするというようなことは、私いままでありませんでした。

 ということに、気づいたんです、昨日の夜遅くに。私宵っ張りで、仕事の前夜でも随分な時刻まで起きてることがよくあるんです、それこそ午前四時ごろまで。眠る時間が三時間を切ると焦り始めるのですが、それでもなかなか床につけないで、なんとなく遊んでしまうんです。
 それが最近、遅く帰ってきても、なるべく早く眠ろう、そして朝ご飯を食べられる時間には起きよう、と意識するようになってきた。昨日もそうです、帰宅は午後十時半を過ぎていましたが、そこから手早く湯船を洗ってお湯を溜めている間に温かいスープを飲んで軽い晩ご飯を済ませたり、なるべくぼんやりする時間を作らないように気をつけて眠る準備をしたおかげで夜半過ぎには床に入っていました。
 ぬくぬくと幸せな気持ちで夜光虫のように光る置き時計の針を見ると、短針はまだ0と1の間を遊んでいます。なんだか嬉しくなってしまって、マナイ君に電話しました。まあいつものことですけど。
 それで、いつもより早いね、と言われて、このごろ少し早く寝るようにしてるの朝ごはんちゃんと食べたいし、なんて会話をした。そこでマナイ君がきめつけるに
「朝の果物は金、だからね」
 と。そうそれ、そういえばその言葉のせいで私、朝に果物食べないとって思うようになったんだよ。
 そんな言葉を交したのがきっかけで、もう何度も聞かされたマナイ君のおばあちゃんの話になったんです。

 マナイ君の大好きだったおばあちゃんが、マナイ君の子供のころほぼ毎日のように言っていた言葉が
「朝の果物は金」

 三月ほど前にマナイ君ちのそばにある果物屋さんに、ランチを済ませてぶらぶら帰る途中二人で初めて入ったときのことです。彼がふと
「朝の果物は金」
 とつぶやきました。そういえば、私もそんな言葉を聞いたことがあるけれど、意識したことがなかった。あの日目の前でつやつや光っていたのはプラムや枇杷、私は
「金より綺麗じゃない?」
 なんて指差しながら丸々と大振りの枇杷が六つ詰まったパックを一つ取り上げて、そうしたらマナイ君、いーよいーよ食べてるとこ見たいから、とかなんとか言いながら買ってくれました。
 マナイ君ちに戻って私は、一番丸々とした枇杷を一つ選んで、きれいにむいて彼に渡しました。ところが、いらないというんですね。
 アレルギーでもあるの、と尋ねると、いやそういうわけじゃないけど別に好きじゃないから、全部食べなよ、ということだったので、わーい一人占めだー、とむしゃむしゃ枇杷を食べながら、マナイ君が話すおばあちゃんの思い出話を聞いていたんです。
 
 おばあちゃんとは、本当に仲がよくて毎日一緒にいろんなことして遊んだ。二段ベッドの上から飛び降りておばあちゃんに体当たりをするというひどい遊びをずっとしてたら、仕舞に顔から床に落ちて自分の前歯が下唇を突き破る大怪我をしたこともあるよ。おばあちゃんは毎日、僕に果物を食べさせて、そのときに
「朝の果物は金、昼の果物は銀、夜に食べても銅、毎日果物たべなさい元気に大きくなれるから」
 って言ってた。十年くらい前におばあちゃんが亡くなってからは少しも食べてないけど。元々あまり好きじゃないから、アイスとかのほうが好きだから。

 とまあその時の話が私、妙に心に残ったんです。朝の果物は金。理屈は知っていました。生の果物が持っている酵素が消化やいろいろのことを助けてくれるとか、それを朝に摂るのが一番理想的な形だとか。
 だけど、それを聞いてから、朝の果物は私にとって、それだけのものじゃなくなったみたい。朝に果物を食べるのって魔法みたい、ってなんとなく思ったんです。

 マナイ君におばあちゃんは、毎日きっと、元気に大きくなりなさいって祈りを込めた果物を食べさせていたはず、だとしたらそれ以上に特別な果物がこの世にあるかしら。
 少し大げさですがそんなことを感じました。そうしたら、果物を食べる、それも毎朝欠かさず、と、そういうことを続けていくことに、いいえ、続けていくことのできる自分であることに、何かの祈りを込めて毎日を過ごしたい、と思ったんです。要は、きちんとした習慣っていいな、という程度のことではあるんですが、そこにちょっと切実な魔法を見たような、そんな気持ちでした。
 それでこうして毎朝、果物を食べている。ついでなのはむしろ朝ご飯の習慣のほうです。

 このところ、朝晩は冷え込むようになってきました。それだけに布団の中の暖かさは何ものにも代え難い幸福感です。
 昨日の夜ぬくぬくした布団の中で、私は仰向けになってワイヤレスヘッドセットを耳に着け、目を閉じてマナイ君と話していました。存分にリラックスしながらヘッドセットから直接右耳に流れ込んでくるマナイ君の声を聞いていると、まるで隣に彼が寝ているような錯覚を起こします。それが嬉しくてその錯覚を楽しんでいたとき、ふと、誰かと私が重なってここにいるような気がしたんです。わずかに体がしびれるような、重力がほんの少し弱まったような変わった感覚でした。
 ねえ、私いま、時間も場所も関係ないところでマナイ君のおばあちゃんと重なったみたいな変な気持ちがする、
 考えるより先にそんな言葉が口を吐いていました。彼はさほど不思議そうでもない調子で、
 ああこうして伝わっていったからね、
 なんて答えていました。
 
 おばあちゃんの教えた習慣は、結局のところ孫息子には定着しなかったんですよね。けれど、思わぬところにそれを受け継ぐ人が現れた。私です。もう亡くなっているおばあちゃんと私とは、この世で相見えることはかないませんが、誰も想像しなかった方法で、こうして繋がってしまった。想像しなかったというより、あまりにも日常的に起こる事柄だからことさらに誰も採り上げては見ないだけ、という出来事ではありますけど。
 けれども私はこのことをきっかけに、一日を過ごすための一つの形式を得ました。この習慣は、ひょっとしたら私が死ぬまで続いていくのかもしれないんです。一人の人の一日において必ず組み込まれる事柄を、誰かが誰かに与える、という関係は、どこかとても深いもののように、私には思われます。その純粋に習慣だけを受け継いだ感覚が、昨日の夜に感じた重なりのようなものだったのかもしれません。

 今朝は馴染みのスーパーにたくさんのフジりんごが並んでいました。品種がよくわからないけれどこれまであまり見なかった鮮やかに深い色のりんごもたくさん積まれて、つやつや光る赤がとても綺麗。反射的に手を伸ばしましたが、ふと目をとめた産地名にドキリと胸が跳ねました。東北の県です。結局、長野県産の豊水を買って帰ってきました。
 マナイ君のおばあちゃん。あなたの教えを私から引き継ぐかもしれない人、それが私と誰との間に出来る子どもか、それはまだ分かりません。マナイ君だったらいいと思うし、案外そうでないのかもしれない。いずれにせよ、私はその人を元気な体でこの世に産んでやりたいと思っています。
 いつか、果物を選ぶことに楽しさだけを感じられる日がくることを願いながら、私は毎朝金の果物を食べます。

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内 容 ニックネーム/日時
そやなぁ。話は違うけど、ばあちゃんて言う人種は棚の引き出しと冷蔵庫から色んな食いもんが出てくるからなぁ(笑)。『これ食べるかっ』言うて、ミカンやら煎餅やら羊羹やら豆炊いたやつやら。愚はそんなばあちゃんになるで。

2011/10/23 13:36
歯だけは丈夫においとかんとな
ばばぐにゃ
2011/10/24 23:57

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