中毒記

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zoom RSS 今髪を耳に掛けたね誰もいないうちの中でけれどもし世界が全くの無人だったなら君は同じようにしただろうか

<<   作成日時 : 2010/08/19 04:04   >>

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 いつかを無事迎えるための、誰かに話して聞かせるための、そのときに後悔せずにすむための選択、ばかりしているのだ。
 
 到達したいつかであるところの今を無限の層に重ねて、さらに繰り返し先にあるいつかを待っているのだ。

 そうだ。「いつか」の到来を私は疑問なく信じている。妄信している。宗教と言っていい。
 『明日も誰かと会い、誰かと話し、さよならと言ってはしばし別れ、そしてまた別の機会を迎えるに違いない』という何の根拠もない希望だけをどういうわけか不動の事実と思いなして、日々生きながらえているのだ。

 私が虫さされを掻き毟らないのは何故だ。そんなことをすれば肌に残った痕を誰かに見られるからだ。
 私が美味い食べ物を見つけてそれを覚えておくのは何故だ。そのうち誰かと一緒に食べようと思うからだ。
 私が言いたいことのすべてを言わずむしろそのほとんどを胸に収めたままでいるのはなぜだ。永久に相手を失うことが怖いからだ。
 私がどれほど面倒でも毎日風呂をさぼったりはしないのはなぜだ。自分に最低限の自信さえ持てない状態で数多くの人の目のある世界を横切らねばならないだなんて耐えられないからだ。

 
 ところで、もしも世界が止まってしまったとして。生きて動いているのは自分だけになってしまうとして(そんな極端に異常な状況は発生し得ないとは思う、なのでこれは喩え話の類としてほしい)。
 もしそうなら私は今と同じ判断基準を持って生活を営むことはできないだろう。
 別の新しい基準を得て、その状況をより合理的に処理してゆくだろう。最短の時間で最大の効果を得られる選択、未来を考慮に入れることなく本能的に。
 それはひょっとしたら「人間ではないような」やり方かもしれない。

 今を今としながら、同時に私は未来を生きている。その未来には必ず自分ではない別の人がいるのを信じているのだ。彼らの目に映る自分を想定し、それを自分にとってより好ましい像に近づけるために、私は今という選択の積み重ねを実行している。

 たった一人、目にかかる髪をそれでも少しだけ「文化的」に顔の脇へ押しやる仕草には、常に他者の視線を意識しているという精神の状態が現れている、なあ、なんて、まあそんなことを考えていた自分を、私はね、あなたに話したい、いつかの明日に。
 

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