中毒記

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zoom RSS 2010年05月14日 世界からの手紙が遅配に遅配を重ね突然ポトンと届くことの繰り返しそれは翻訳作業

<<   作成日時 : 2010/05/15 01:25   >>

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 “あくがる”という古語の動詞の用法を初めて知ったとき、わたしはまさに意を得たり、と感じ、そしておそらくそのとき生まれて初めて“言語”そのものとその機能に快哉を叫んだ、のだったと思う。
 記念すべき最初のとき、まさしく“この”わたしの原型をわたし自身の中に見出した瞬間である。

 そのころのわたしは、まさに胸中これ満杯の不穏当な感情が出口を探して渦巻いていることを感じながら、身体と心の結束ですらまだまだ弱っちい青二才以前の青二才、真っ青二才くらいの頼りない子供だったため、それが心に起こっていることなのか、身体の不調なのかすらきちんと掴めず、ましてや名づけることさえできないまま日を過ごしていた。
 “あくがる”という言葉は、現代の“憧れる”の語源になっているそうで、もともとの意味は、なんだっけな、想い過ぎて体から心が出て行っちゃう、みたいなことだったと思う。
 こうも適当なままで意味を説明してしまうのは検索がじゃまくさいからではなくて、そのときのわたしがこの言葉をどう理解していたか、その意味のほうが重要だと思うからで、つまりわたしはその当時、“あくがる”という言葉の意味をそう理解して、まさに自分自身そんな状態だったところへ、どストライクな表現を見つけて狂喜した、というわけだ。
 
 それは、初めてのプロセスだった。それまでのわたしは、気がつけば多くの言葉を知っていて、すでに名付けられた自分の感情を認識するのになんの作業も努力も、ましてや苦労など必要としなかった。さらに言えば、わたし自身には認識をしている、との自覚さえなかった。
 しかし“あくがる”という言葉と出会った経緯はその間逆で、まるでパズルの余りピースのような、異物そのものであるところの自分の心の状態があったところへ、それを言い表すど真ん中の表現に何の準備もなく突如出会ってその瞬間、まさにそれが求めていた言葉だと天啓を受けたようにひらめいた、そんな出会いだったのである。

 さて、そうやって名づけられぬものが突然所を得るようにしてなんらかの言語表現に収斂されることがある、ということを知って、わたしはその逆のプロセス、つまり、名づけた覚えもないのに、いつの間にかそれをあらわす単語を与えられているあらゆる事柄、に、はじめて気づいた。
 それは、わたしのいる世界を形作っているすべてのもの、それまで知っていたことの大部分の組成そのものであったため、わたしは大いに慌てた。わたしは、知らないうちに知っているものとしていろいろのことに名前をつけている!あまつさえ、それを他人と分かち合っていると信じて疑わないのだ。なぜ?どうしてそんなことが信じられるのだろう。いったい、その言葉の中身をわたしは誰かと丸裸にして確かめたことがあったろうか。

 大きな不安が襲ってきた。いままで意のままに操っていると信じて疑わなかった言語が、細切れの記号の集積体であることに心底ぞっとした。

 言語、は、記号。

 こんな単純なことに、今までどうして気が付かなかったのだろう。わたしたちは、本来名前など持たないすべての事柄について、他者とのより細やかな意思の疎通を図るため、名付けることから言語を作り出し発達させてきたのだ。
 けれど、すでに成熟しきった言語を持つわたしたちは、それが意思伝達の便宜上、という理由で生み出されたものであるということをすでに忘れ、自分と他者の間においてその認識にまったく差異がないものであるかのように使役しているではないか。ああ、なんという言語への虐待。
 わたしは、名付ける、という行為にはもっと慎重にならないといけない、と感じた。では、わたしが“あくがる”という言葉と出会ったときに感じた、あのドンピシャな感じ、あれはいったいなんだというのか。わたしはそのプロセスを、もう一度なぞってみることにした。

 まず、わたしの中にどうにも収まりの悪い感情があり、なぜそれをそう感じるかというと、名前をつけることができないから、つまり、それを言葉で指し示すことができないから、だった。
 あるときわたしは“あくがる”という言葉を学校の授業で知り、その意味を教えられて、自分の心の状態がまさしく“あくがる”に近いものである、と感じたのだった。

 ※はい、ここにひとつ、おっそろしい見落としがありました!※

 わたしは、“あくがる”という言葉の意味を、それを表し説明する別の言葉の連なりから知ったのだ。つまり、わたしは、多くの単語数を費やせば表現できる心の状態を、ただひとこと“あくがる”という言葉に肩代わりさせて、その瞬間からその内訳について思考するのを止めてしまっていたのである。それは、すべての言葉について言える。すべての思考を構築している言葉のひとつひとつに対して、わたしはそれらの本当の意味を自らの心に問うことなく、常に“それはひとまず置いといて”いたのだ。

 思考停止。わたしは、言語を用いて思考しながら、それを十全に機能させるためにひとつの思考停止状態を示さずにはおられない、という矛盾を生きている。愕然、です。呆然、でした。

 わたしが叫んだ快哉はつまり、思考停止できて便利だね言語って!と、そういう意味合いに過ぎなかったのだ。けれど、そうならば本来の意味での思考、それはいったい、これほど厖大な言語の海で、その粒子のひとつひとつを仔細に検分しつつ、自分の心と照らし合わせ間違いのないところへそっと積んでゆく、そんな作業を言うということではないのか。
 どえらいことになった、とわたしは思った。
 罪を知らないからわたしは罪を犯せた。けれど知ってしまった以上、それをそのままにしてさらなる罪状を重ねることは、これははっきりと『悪』なのじゃないのか。
 思春期のわたしは大真面目に、じっくり、しんみりそう感じてしまった。結果、わたしのとるべき道はひとつしか示されていなかったため、今もどえらいことになったもんだ、と思っている。
 


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