中毒記

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zoom RSS 2010年04月26日 ホルモンの支配下にあって支配されながら私は支配されることを選びかつ完全に自由

<<   作成日時 : 2010/04/26 04:59   >>

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 明確な理由を必要とする事柄とその分析に飽きてきた。

 私の内部には無限大の容量を内包する一種宇宙が存在し、それはあなたもあなたもあなたもあなたも、あなたもあなたにも、それぞれが無限を内包して少しずつ食い込みあっているようで、つまり無限は無限に掛け合わせられ続け、とーーーっくに私なんかの理解の手の及ばぬところを無限しているわけで、

 私はなんだか最近時空の座標軸をすっかり見失って、すべてが同時に在り、またすべては未だ発生せず、発生を終えて無に帰してもいるような、なんでもありありのポヤヤン感の中でしかし、今現在ちゃっかり生きている自分を発見するばかりなのだ。

 説明が不要なこの世の、そこにちゃっかり生きているなら、十全に美しくあれかしと願うだけでいいじゃないか、と、なにやらそのように思っている。
 
 誤解を恐れずに言うが、この世に生まれて意識を持ったという事実を思うと、私は自分の存在とその自覚をただ嬉しく、嬉しくて嬉しくて、同時にかなしくもあり引きちぎられるような謎の“不在感”と“喪失感”に苛まれて、涙に暮れてしまう。
 果てしなく拡散していってしまう自己を感じてはいるけれど、そんなことさえどうでもよくなって、ただすべてが同時にある宇宙を愛することのできる自分であったことだけを強く思う。

 虹の七色がよじり合わさってただ可視光線となるように、分析をやめた感情のすべてを同時に感じたとき、そこに現れる可視光線は愛情なのだと思う。
 愛は、単一の感情ではありえないし、あらゆる感情、相反する事物のすべてを混在させてかつ新しい別のひとつとなり立ち現れるのだと思う。

 そうそう、そうです、愛です。
 しかし、愛という日本語にすでにひっついている意味合いとイメージは厄介だなあと思う。どうもべたついている。私が感じるものは、そういうものとはちょっと性質が異なるように思う。つまり、○○愛、と名づけられるような感覚ではない、ということだ。親子愛、家族愛、隣人愛、恋愛、宗教的な観念で言うところの愛、そういうものを、含んでなお別種の感覚に変質している、と感じるのだ。

 愛、という言葉の意味にもっともよく似ているのは「在」、あるいは「私」、という単純な概念の自覚ではないだろうか。単純なエネルギーの、そこにある、というそれだけの事実。
 

 自覚するという能力は、今のところわれわれ人間にしかないのだろう。そして、自覚しているという自分を自覚し、その上で自らの知能に呪縛された世界への認識を自覚的に再度手放す、という一連の精神的活動を、私は愛と呼びたい、と今思った。

 そんで、私、みんないてくれてよかった。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
いやいやツイッターおもしろいですね。
糸井重里が「アーティストは溜め込まなければダメだ」的なことのたまってたけど、本当にアイディアとかコンセプトをバーっと書いちゃえるから、しかもなんかカタルシスとか感じちゃって満足しちゃいますから一長一短ですな。違う脳みそ使ってやるしかねえ。と、記事をまったく無視したコメントをしてみる。
植本
2010/04/27 01:56
むかし、「つる一」というおうどんやさんを、つるいち、とよめず、すなおにつるぅ、と呼んでいました。
関係ないこと書いたった。
つるっ
2010/04/28 13:24

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